The image is iconic – a gorgeous, red brick building constructed in the Neo-Renaissance architectural style, picturesquely sitting along the river near Osaka City Hall. In English, it is called “Osaka City Central Public Hall.” Yet, few know the history of this 100+ year old building, or about the many world-famous personalities that have performed and lectured here (including Einstein and Helen Keller). An excerpt from the facility’s website tells us:
“The public hall was made with a large grant from an Osaka citizen, Mr. Einosuke Iwamoto who was a broker in Kitahama, Osaka. His donation was 1 million yen equivalent to billions yen in current monetary value. Einosuke had an opportunity to visit the United States as a member of businessman group and there he was impressed by the fact that American businessmen pay their own money to contribute to make great public halls like Carnegie Hall. Then he decided to construct one in Osaka which should be as beautiful as any hall in the world. The hall construction started in 1913 and was completed in 1918. Although it was rare at that time, they had a competition between nominated architects. Through its long history, the hall has been always deeply involved in cultural and art activity of Osaka people. Many international stars had various concerts like opera and also many famous people had lectures there. The role of the hall was changing with the times, however it always contributed to Osaka citizens’ cultural activity.” http://osaka-chuokokaido.jp/english/
Below is an original article about the history of this culturally significant building, written specifically for the members of the Kansai Consular Corps and our readers, by author and local historian Mr. Jun-ya Nakano. The article features an interview with the current Director of the facility, Mr. Nakai.
*Website contributions and guest postings by Kansai Consular Corps members and related organizations are welcome. Articles may be written in English, Japanese, or in bilingual format. Subject matter must be relevant to the KCC and its mission and will be subject to approval by the Executive Committee. Please contact the Executive Secretariat at ryojidan0818@yahoo.co.jp for further information.
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中央公会堂――1911年に株式仲買人の岩本栄之助が大阪市に100万円の寄付を申し出て建設が開始された建物です。かつてクライスラーのコンサートが開催された会場でもありますが、開館100周年を前に先人の思いと建物の意味といった「過去」と、現在をどのように結びつけるのか…そういった思いについて、現館長の中井雅博氏(サントリーパブリシティーサービス株式会社)にインタビューをしました。
■ 公会堂としてはどのように岩本栄之助のことを伝えようとされておられるのでしょうか?
中井:岩本栄之助はアメリカ視察の際にカーネギーホールを見て、その寄付文化に心打たれ、日本にもこういうホールが必要だという思いを抱いたといわれています。その結果私財をなげうって建設をした…という独特の「経緯」をもった建造物であることは事実です。一方で大阪は「旦那のまち」でもありますから、私財をなげうって公共のために役立つことをするという精神は、古くから根付いている場所でもありました。ですから岩本栄之助の偉大さでもありつつ、彼を育んだ大阪の精神の在り方、その両方が生み出したのがこの建物なのだと感じています。
大阪の昔からの商人がもつ公共心というのは、簡単に言えば「社員」と「社会」の両方のためにという発想で、多くは創業の段階からそれを謳っているようですね。近江商人の「三方よし」とも通じているのだと思いますが。人間は一人で生きていけませんし、事業をするにもどこかで人の世話になっている…大成された方はこのことを誰よりも強く感じておられるのではないでしょうか。そしてその恩に報いたいという思いが、寄贈へと繋がっていったのではないかと思います。
■ この建物の中で岩本栄之助の精神をもっとも強く感じる場所はどこになるのでしょうか。
中井:個人的な見解ではありますが1Fの大集会室ではないかと。ここは市民が集う・憩うということを目的とした場所であり、文化を発信したり、受け止めたり…交流の中でお互いを高める「場」そのものなので。名前もそのコンセプトを顕著に語っていると思っています。公会堂は「公に会する」。ホールはすべて大集会室、中集会室、小集会室と、「集い、会う」ですからね。
集うことがお互いを高めることになるという考えが、現代的であるかどうかはそれこそ管理をしてゆく我々の課題でもあるのですが、そうあってこその建物だと考えておりますので、是非とも開館当初の思いを継承してゆきたいですね。またそういった集いを提供し、サポートしてゆくことがシビックプライドの醸成につながる…これは私の信念でもあります。
この建物の設置者である大阪市としては、ここの活動を通してにぎわいを創出し、他府県、あるいは世界に広く大阪の都市魅力を発信してほしいという意図を持っておられるようですが、都市魅力もにぎわいも、結局は都市のブランド力を上げることなんだと思います。「大阪に住みたい」「大阪に憧れる」「大阪に誇りを感じる」…そんなシビックプライドが醸成されれば、大阪ワースト記録の数も減るでしょうし。ある時、この建物を訪れた人が「大阪に来るのは初めてでしたが、こんな建物があったのですね。私、大阪が好きになりました」と言って下さったことがあるんです。この建物には人をそんな思いにさせる何かがあるのだと思います。シビックプライドを築くうえでも、大変重要な「要素」の一つだといえるのではないでしょうか。
■ その理想へと向かう上で、越えなければいけない「壁」というのはあるのでしょうか。
中井:大阪人にはどういう訳か戯謔的(ぎぎゃくてき)なところがあるように思います。心の奥底では高いプライドを持ちながらも、照れ隠しのようにちょっとおどけた感じで大阪のことを説明しますよね。それで大阪のイメージというのは全国的にもステレオタイプのものになってしまいがちですが…それが大阪人の中に徐々に「真実」として浸透しつつあるところが怖いなと思います。
そこでこの建物が出来ることは何か…見学に来る学童や若者は、皆一歩建物の中に入るだけで「わぁ!」と声をあげます。美しさに感動してくれている…この経験が一番効果的で、「これも大阪なのだ」ということを持って帰ってくれる。こういったことの積み重ねが徐々に変革を与えてゆくのでしょう。「壁」というなら、徐々に乗り越えることの作業と忍耐というところでしょうか。
ジェネレーションによって大阪のとらえ方は全て違うと思います。戦争経験者、団塊の世代、そのジュニア、更にその後…それぞれの背景となるライフスタイルも考え方も、モノ、人、街との接し方も全部異なると思うんです。ただ、古くから残る建物の使命というのは、そういった背景がどれほど変化しても、全てのジェネレーションの心の中にその建物が存在しているということなんだと思います。多様性の中の「個」であり、「個」ゆえの多様性…そういったものがこのような建築物の存在意義なんだといえるでしょう。
■ 市民に広くという思いと、建物の品位を守るという思い。時には相反することもあると思うのですが、そういった点についてはどのようにお考えでしょうか。
中井:それは建物の「風格」の問題だと思います。そしてその「風格」を形成するのはここで働くすべての人間の心と立ち居振る舞いだと思っています。平成30年に開館100年を迎えるわけですが「100年ブランド」に相応しい対応――これが生命線だと思っています。
そのサービス品質向上については常に意識的に「考動」しています。サントリーパブリシティーサービスには18か条の憲章があって、その原則をもとに、それにまつわる経験やエピソードと感想などを述べ合うという機会を定期的に設けています。表面的なマニュアルというものであればすぐに消えてしまうものだと思うのですが、理念を実際のケースに照らし合わせ、そこで感じたことを共有していくことで一つの「主体」に育てていく。そういう努力がこの建物に対して我々の出来る敬意の払い方なのではないかと考えています。
とはいえどこまでそれが出来るのかは…。それだけこの建物に込められた意義や思いというのは大きいのだと思います。一言で言えば大大阪時代のブライドですね。偉大な大阪の一時代を背景として、ここでヘレンケラー、ガガーリン、アインシュタインなどが講演をしたわけでしょう。多くのオペラも公演されてもいます。そんな輝き――消えやすいものですが、それを遺産としてではなく、今も息づくものとしていかに継承してゆくのか…日々精進ですね。
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